Episode さんびゃくごじぅさん 『ステージのあり方』 (2015922)

「もののけ姫」が映画館で上映されていた頃ですから、ずいぶん前の話になりますが、
ドイツの「シーメンス」という会社が、日本とドイツを衛星中継で結び、和太鼓とオーケストラの共演をしてしまおう!
などという結構大掛かりなことを企画し、そのお話が私にやってきましたので、お受けしたことがあります。
私も作曲の一部に関わるため、本番の一ヶ月ほど前に単身ドイツに行くことになりました。

ベルリンの空港に私を迎えに来ていたのは黒塗りのでっかいベンツ。
“ドイツの国産車だー”と、ちょっとどころか、かなりうれしくなりましたが、
運転手は無表情でハンドルを握ると、アウトバーンを
200キロを超える猛スピードで走り続け(大げさではなくて本当に!)、そしてスタジオに到着。
私の手の平は、冷や汗でびっしょり・・・。
いくら速度無制限やからいうて、こんなんあかんやん、どないやねん!と大阪弁でつぶやいたかどうかはさておき、
そこでの作業中、もうずっと空港に戻る時のことを考えていて、運転手に「モアスローリープリーズ、スケアリー!
(ゆっくり行ってや、めちゃこわいねん)
と言おうかどうしょうか、英語通じるか・・・そんなことばかり考えていたので、あまり記憶がなかったです。
それでも帰国後しばらくすると、完成したスコアーが送られてきて練習開始、なんとか本番の日を迎えました。

東京・広尾のとある所が、日本での衛星中継場所でした。
和太鼓を芝生が青々としている庭まで、太鼓を人力で運ぶことになり、現場スタッフの皆さんとおおかたの楽器を搬入しましたが、
重さ
500キロの大太鼓だけがどうにもならないので、“わ”ナンバーの軽トラックが登場。
ハンドリフトで荷台に慎重に載せると、細いタイヤが
4本ともパンクしたようにペッチャンコになり、
150キロの重量オーバーとなった状態で今にも沈没寸前。
それでもスタッフが両サイドを支える中、時速
1キロくらいで走行し、細い坂道を上り切りました。

中継先のベルリンには「ベルリンドイツオペラ管弦楽団」、そこから流れてくる音を聴きながら和太鼓をかぶせ、コラボは無事終了。
一息つくと、そこには歌手の米良美一さんがいました。
当時、もののけ姫の主題歌を見事なカウンターテナーで歌ったことで注目を浴びていた頃でしたので、私も彼の存在を知っていました。
米良さんは演奏風景をご覧になっていましたので、声をかけていただきしばらくお話しました。

当時、オランダを拠点にヨーロッパで活動していた私でしたが、米良さんも以前オランダに住んでいたということで、
共通の話題にも花が咲き、楽しい時間をすごしました。
その中で強烈に印象に残っている言葉がありました。
それは私の心に響き、自分もそのようでありたいと思い、指導先でもその言葉はよく言っていますが、ここでは割愛します。

米良さんが「くも膜下出血」で倒れ、術後の懸命なリハビリの後、再びステージに立たれたというニュースがテレビで流れていて、
びっくりしたと同時によかった、と胸をなでおろしました。

今週渡米しますが、現地では改めて米良さんが言った言葉のような演奏を心がけたいです。


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